アスペルガー症候群の特徴が、あまり感じられなくなった長男(中2)だが、この間久しぶりにその片鱗を感じた会話があった。
「母ちゃん、このお菓子の残り、どこに置けばいい?」
長男が聞くので、私は皿を洗いながら、
「うーん、その辺に置いといて」と答えた。
「その辺って?」
そうそう、「その辺」とか「適当に」は、彼には苦手な言葉なのだ。
「うーん、テーブルの上に置いて」
「テーブルって、2つあるけど、どっち?」
「どっちでもいいわー。あっあー、ごめん、じゃあこっちで」
「だいたい」だの「目分量」だのが好きな母とは、長男は正反対なのだ。
いい意味での「適当」という言葉が好きな母は、『適』の字を二男の名前につけたほどである。
その日は冬休み最後の日だった。
家庭科の宿題に、家ですまし汁を作ってくるようにと言われた長男、ようやく台所に立ち、作りはじめたのだが・・・
きっちりとした性分の彼は、10秒ごとくらいに私に次々質問する。
「母ちゃん、こんぶの分量書いてない、どうしよう」
「1枚か2枚でいいんじゃない?」
「どっち?」
「2枚の方が濃くておいしいかもよ」 適当に答える。
「母ちゃん、計量カップ2つあるけど、どっち使えばいいの」
自分で考えろよ・・
「母ちゃん、沸騰寸前まで何分かかるの」
「母ちゃん、豆腐1センチ角ってどうやって切ればいいの」
1センチ角って小さくない?! ・・だって教科書に書いてあるんだもん。
「母ちゃん、ねぎって何センチ使えばいい?」
「母ちゃーん!・・・」
あぁぁぁ、うるさい。。適当にだまってできないのか・・・。と心の中で思ったが、なるべくちゃんと返事をする。たぶん失敗が怖いんだよね。でも自分で考えさせることもしなければ。
しかも家庭科のプリントにミスがあり、水何ccなのかよくわからなかったので、
「たぶん一人200ccだから800ccだよ」といっても「640ccと書いてある」と納得しない。疲れたが、きっちり懸命にしょうゆやみりんを計ったり、だしをとる姿にちょっと愛しさも感じた。少し前までは、ガスの火もなかなか点けられなかったもんね。進歩したよ。
1センチ角にこだわった豆腐は、どう見ても6ミリくらいになり、本人も「うまく切れなかった、しょうがない」と納得していた。
自分がうまくいかないことを繰り返して、だんだんこだわりがなくなったり、妥協したり、人を許せるようになるのかもね。
出来栄えは、だしがちゃんと取れていて、おいしかった。ただミスプリのおかげで、水が少なかったので味がだいぶ濃かった。このことも反省していた。
きっちりしようとするがゆえに、面倒になったり、必要以上に疲れたようだった。
でも同じ発達障害でも、タイプが全然違い、私は極度の方向音痴だが、長男は道を覚えてる方だったり、私は雑食?、長男は元偏食だったりする。
どっちも怖がりではあるけど。。
母は大人だから平気なふりをしてるだけ。
すまし汁をみんなでご馳走になった後で、長男が言った。
「途中であんまり質問するの、悪いかなーって思ったんだよ。母ちゃんちょっと嫌そうにしてたから・・・」
えっ、本心ばれてたのか。ごめん、悪かった。反省。。
ちなみに長男の名前には『諒』の字が使われている。その意味の願い通り、育ってくれてるのかな、と感じる。家族の中で、一番私を気遣ってくれる。ありがとう。
(『諒』・・「察する、思いやる」)