中3の時、クラスの男女の仲が良かった。カップルは1組くらいいたが、だいたいが愉快な友達関係で、呼び捨てにしたり、ニックネームをつけて呼び合ったり、ふざけあい、時には団結し、独特の仲の良さだった。
そんな青春の1ページに私も混ぜてもらい、それが今も私の『男女の友情肯定派』のベースとなっているようだ。
思うに、男女の友情は、特異なものかもしれない。
奇跡かもしれない。
それほど、微妙で、生まれるのが難しいのかもしれない。
でも、生まれるところには生まれ、美しく咲く。
私はそう思っている。
友情にも、もちろん『好意』は必要だ。
でも、一線を越えない絶妙な関係は、偶然の相性なのかもしれないし、お互いの我慢や努力や思いやりから生まれるのかもしれない。
私は友達であっても『愛してる』の言葉を心の中で用いる。
友達は、コミュ障の私にとって、特に、特別な、大切なものである。異性の友達もしかり。友達になってくれる人は、皆、どこまでも心の綺麗な、優しい人たちだ。
恋愛感情が生まれる場合もある。だけど、互いに友達と決めたら、友達でいられる。
大好きな、愛しい人に変わりはない。
愛する人だからこそ、少しの涙と我慢と思いやりで、相手の幸せを願えることの、幸せ。
切ない、ほろ苦い、こんな気持ちを持てるのは、少し大人になったせいなのか。