人と話をしていて、なぜか眼科の話になった。
するとなぜか、心の奥底にしまっていた思い出がよみがえった。
小2の夏休みのこと。
田舎から転校してきたばかりの私は、新しい学校になじめず、一学期中、毎日泣いてばかりいた。
父が極度の近眼で、その遺伝子を受け継いだ私は、ことあるごとに眼科に通っていた記憶がある。
その眼科医の先生に、ある日言われたのだ。
「この子は逆さまつげで、視野が暗いから、どんどん近視が進むでしょう。そうならないために、二重瞼にする手術をしませんか」
私は手術が怖かったので、いやで仕方なかったが、親は手術を承諾したらしく、決まったことには逆らえなかった。
今思えば、ビューラーを使ってまつげをカールさせることもできるのだから、無理に手術しなくてもよかったのに・・
しかし、私の親は、ビューラーなど、お洒落につながるようなものは、絶対反対な人間だったので、どう説得しても無駄だったろう。
そして、右目から、手術は行われた。
まず、まぶたにする局部麻酔が半端なく痛い!
しかも、不幸なことに麻酔は充分に効かなかった。
まぶたの3か所を縫うのに、いちいち激痛が走った。声も出ないほどだった。半分意識を失う。
長い長い闘いの末、右目の手術が終わった。歩く時ふらつくほど痛かった。
さらに、悪いことに、すぐにガーゼを外さなければいけないのを、次の2週間後の左目の手術の時までわからずに外さなかったためか、右目の二重は大きく腫れてしまった。
少年みたいな私でも、ショックだったのを憶えている。
左目の手術の時のことは、よく覚えていない。現実と向き合うのがいやだったのかもしれない。たださずがの親も、手術前に先生に、
「先生、もう少し痛みのないようにしてやってください」と頼んでいたように思う。
左目は術後、すぐガーゼを外したためか腫れず、いくぶんましな仕上がりになった。
それでも、もともと目が大きかったので、不自然な二重まぶたが目立ち、本当に人前に出たくないと思うほど、絶望した。
小1まで、田舎でのほほんと育った無邪気な自分は、その時、半分死んでしまった。
新学期、案の定、いろんな友達からじろじろ見られたりして、本当にいやだった。
その後も、節目節目で、自分がころされるような出来事に遭遇し、私の子供時代は辛いものがあった。
しかし、遅かれ早かれ、みんなそうやって大人になり、そして死んでいくのだろう。
そのときどきで、運命を変える力は自分にはなかったけれど、そのかわり、こうして何かをとりかえすかのように、しぶとく生きていることが、私に唯一できることだった。
だからといって、子供時代の悩みはたとえようもなく、楽しそうな周囲の友達を感じては、狭い世界観の中で、「死」を選ぼうとすることもあった。
・・重くなってしまいましたね。
自分の子供には、なるべく、くだらないことで苦しまず、楽しい子供時代を過ごしてほしい。
苦しんでプラスになるとこと、そうでないことがあるから。
よかったことと言えば、そういう考えに至ったことである。
長男は、私の手術前の目にそっくりに生まれた。手前みそだが、かわいいと思う。
もちろん二重の手術などしない。
先日、用事があって、中学校の近くを通ったら、長男(アスペルガー)が友達と談笑しながら下校してきた。
ただ、それだけのことなのに、幸せで胸がいっぱいになった。
子供(少年)時代には、やるべきことがいっぱいあるのだ。
友といろんなことを分かち合うこと、生活を頑張ること・・
それに打ち込めるような、環境を作ってやりたいと思うし、そうやってこれただろうか?と自問自答している。
そう思ううちに、自分のことはいつしか、どうでもよくなっていた。