雨 ときどき晴れ☀

~鬱と発達障害とつきあう日々~

小さな幸せをあつめて

 

 

 昨日は、仕事がとても楽しく思えた一日だった。お盆休みの前日で、残業はきつかったが、本当に楽しかった。こんなコンディションで、多くの日々を過ごせたらいいのに、と心底思いながら、車を走らせ、自分に合った仕事内容をこなしていた。

 会う人会う人に笑顔で接することができ、ちょっとした会話を交わす。優しい言葉をかけて下さるお客様もいる。

 『・・もしかしたら、私がこちらに営業しにくること、ダメじゃないですか?』

 『これからも、私がこちらを回らせていただいても、構いませんか?』

 そう思いながら、車で、自分の足で、最善を尽くしながら、走る。

 

 会社の同僚と交わす冗談や、ねぎらいの挨拶。

 笑ってほしいのは、自分のためだ。

 少しだけでも、少しでも、生きる意味を見つけたくて、人の反応を見てしまう。

 

 

 子供たちが、喜んで私の作ったごはんを食べる。大したものは作っていない。

 「どう?これ」

 と聞くと、息子が親指を立ててうなずいた。

 

 大好きな人が優しかった。

 澄んだ優しい声で、優しい言葉を。

 眠りに落ちるまでささやいてくれた。

 私は存在していいのか、わからないからこんな幸せのかけらを集め、懸命に答えを見つけようとしている。

 

 

 いや・・駄目なら駄目、そう、いっそ言ってくれてもいいんだ。。

 とてもつらい時、そんなことに思いを馳せる。遠く甘美な誘惑。

 

  

 

 私には重すぎる十字架。

 今も生きていていいのか、自問自答し続けている。死ななきゃ治らないであろうこの病。

 希望を持ち続けた時期は過ぎ去ろうとしている。今まさにどちらに転んでも不思議はない。しかし私を引き留めるものも、幸か不幸か存在する。

 そんなとき、私は涙にくれながら、そのまま生きなければならないのだが、脱力したまま生きるのも、不思議と続かないのだ。どうして生きるのか、心は答えを見つけたがる。

 前に書いたような気がするが、この十字架が、私が背負うことによって、他の大事な人が背負わなくてよい、そういうことであれば、しかたないと思う。今のところ、そう思うことによって、私の生きる意味が生まれる。

 

 

 幸せのかけらが、どうしても見つからない日、そんな日は・・

 そんな日は、考えるのをやめよう。

 何もしないでいい。

 それくらいの休息があってもいいはずだ。

 

 

 私が考えられるのはここまで・・

 

https://www.instagram.com/p/BmUb6tgnkFg/

 営業先のギャラリーで。社長さんがカメラが趣味らしい。

 

 

 

 

 乞うことができるなら。誰にでもいいから、答えを持つ人に教えを請いたい。 

 自分と同等のことを味わった人や、それに思いの馳せることができる人に。