雨 ときどき晴れ☀

~鬱と発達障害とつきあう日々~

それでも雨が降る時は

 

 パート先の上司から、

「田中さん、そんなに何か所も仕事してるなら、うち1本にしない?」

と言われた。

 要するに、うちの社員にならないかと、そういうことである。 

「あなた人と接する事好きでしょ、そういう強みがあるよね」

「いえ、そんなことないですけど・・」

 苦手を克服するべく、がんばっているのを誤解されているようなので、一応軽く否定する。

 

 確かに、今2か所の短時間の仕事に、今月からはもう1か所増やす予定ではある。

 

 しかし、そんなお誘いの話も、手放しで喜ぶわけにはいかない。

 私の能力を買って、というよりは、今、人手が足りなくて人員を確保したいだけなのだ。

 

 私はマルチにできる人間ではない。

 社員になれば、仕事の種類も増えるし、極端に苦手な仕事も追加される。

 だから、自分にできる仕事を苦労して見つけ、それをつないで何とかやっている。

 体力も集中力もあまりないから、長時間も苦手である。

 

 でも、上司から、

「人間関係をうまくやっている」

「仕事もまずまずできている」

 と思われているとすれば、今の自分は社会的に、そんなに悪くないところにいるのかな、と思ったりする。

 まぁ、上を見れば、きりがないけど。。

 

 

 以前に比べれば、鬱で死んだように生きていた時に比べたら、それはもう心は穏やかで。

 仕事も、無事に終わればほっとして、単純に幸せで。

 仕事仲間と他愛もない冗談を言って笑ったり。

 食べたいと思うものを、作って食べることができたり。

 

 来年度には、卒業して家を出ていくかもしれない子供と今、一緒に暮らせていることに幸せを感じたり。

 

 

 いろいろ、いろいろあったけど、こんな人生で私は良かった。

 辛かったことはみんな浄化され、脳や血液や体中に刻まれているような気がする。

 人に傷つけられ、自分に傷つけられても、あきらめずに生きる道を探すこと。

 生きるとは、休むべき時も、逃げなければいけないこともある。

 とことん休んで、動けるようになったら、できる限りで動けばいい。

 自分を落とさず、最後のプライドは捨てず。

 そのためになりふり構わず。

 

 

 『求めないで優しさなんか 臆病者の言い訳だから』

 こういう言葉を支えに、生きてきたと思う。

 

 時間は、こんな私にも、少しの縁を与えてくれて、

 優しい人にもめぐり会った。

 

 

 降り続いた雨が止み、明るく陽が差し込んで、もう一年ほど経つ。

 穏やかな日々。

 

 

 それでも時には雨が降る。そんな時は、少しだけ頼っていいかな。

 あの人のことを。

 人を信じられるなら。

 

 

 信じることも、生きるための武器であり

 できないなら、頭の片隅に置いて時々意識すればいい。

 長い間に、自分は変わっているだろう。

 きっと良い方向に。

 

 

 

 

 

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追記・・『それでも雨が降る時は』・・というタイトルのブログがあり、自分はその読者でした。頭のどこかにこの言葉が残っていたのか・・?使ったあとで気づきました。心当たりのブロガー様、気を悪くされたらすみません。すてきな言葉だったので、被ってしまいました。ごめんなさい。