ずいぶん長いこと、悪夢を見ていなかった。
久しぶりに見たそれは、私を過去に引きずり戻し、重く覆いかぶさって、例のごとくびくともしなかった。 私はそれが早く過ぎ去ることだけ願い、決してうまくいかない実生活と重ね合わせ、いつものこと、私の人生そのものだ、と絶望して目を強く閉じた。
ふと目が覚めると、意外なほど取り乱していない。いつも頭が割れそうに、叫びそうになっていたのに。自分に心の安定があることにほっとして、幸せがあることも思い出し、それほど悲しくないことに感謝した。
実生活は、相変わらず、さほどうまくはいっていない。
コミュニケーションの困難、仕事の能力の悩み、家族や自分の健康。つきつめてしまえば、死んだ方がマシなことも毎日ある。 でも、何かに支えられている、いろんなものに。
コミュニケーションの苦手な私には、ブログというツールはありがたい表現の手段である。
そして私を助けてくれる一人一人の言葉は、どこまでも深く温かい。話し掛けるような、思いやりの言葉もあれば、整然とした言葉もある。たった一言の言葉に救われたこともたくさんある。
どの時も、慈愛に満ちた、まっすぐな気持ちを感じる。確かにこの向こう側のどこかに存在している人たち。
ありがとう。
私は、実生活同様、文章も言葉足らずだけど、少しでも頂いた恩が返せるようにしたい。その人に返せなくても、その分を他の人に返せれば、と思う。
それでごめんこうむりたい。
先月の、晴れた日。昔のお世話になった人のお墓参りに行った。以前は、何か辛いことがあると、よくこの人が夢に出て来て助けてくれた。いつもこの人に頼っていた。でも、少しずつその頻度は少なくなっている。
あまり思い出さなくて、ごめんなさい、と心の中でつぶやいた。お墓全体が穏やかな雰囲気に感じられ、その人が笑っているように思えた。
たまには思い出せよ、とでも言っているのだろうか。私も穏やかな気持ちで手を合わせた。
だんだん夢を見なくなっている。それは小さいが、ほんの片隅に自分の居場所を見つけたからであり、静かにここで素直な言葉を綴っていきたいと思う。
私のような者に気に留め、読んで下さる方、ありがとう。