仕事をしている中で、どうしても忙しさに追われ、人にかまっていられなくなることがある。それだけでなく、上司は自分も忙しいが、部下にも、仕事を多く与えざるを得なくなることもある。
先日、時間を大幅にオーバーする量の、仕事を上司に与えられた。
その職場は、いくら残業しても残業代は出ない。なので、時間内に終わらせて帰ることを会社からも言われている。一瞬どうしようか考えた。
仕事を残すことはできない。手を抜けないところは優先してやり、あとはどうにかしてスピードアップするほかない。結局、一時間以内のオーバーで済んだが、これをどうみるかは自分次第である。私は考えないことにした。
私は元気で仕事量もこなせると思われているようだ。人前ではたとえ疲れていても、うつだろうとも、反射で元気に挨拶をしてしまう。走りたくなくても走り、ジャンプしろと言われればする。そしてムダに笑う。元気がないときほど、元気を出そうとし、そして疲れる。
それはいいとして、上司はそれを見越して、私に出来ないほどの仕事をくれることが多い。ありがた迷惑であるが、しょうがない。できるふりをしているのだから。そうでなければ、うつの私なんてどこも雇ってくれない。でも、時々、本当に不可能なくらいの仕事を与えられた時、『試されているんじゃないか』と少々訝しく思うことがある。そして、『この先輩、試してるなー?意地悪い』と思うこともあるが、わりと今のところ平気である。
それはなぜか?それは、その先輩が、昔けっこう優しかったからである。
厳しいが、親切に物事を教えてくれたことがあるのだ。一度でもその人の優しい魂を感じたことがあると、その後どんな面を見せられても、私はその人の本質は変わらないと思っているので平気なのだ。
環境が変わり、上からは無理を言われ、無能な部下に失望し、冷酷になろうが、嫌味を言おうが、ふっふ、本性は違うっしょと心の中でほくそ笑む。
そして少しその人のことを気にかける。この人も大変なんだろうなと。
一緒にお酒でも飲みましょうと声をかけたいところだが、仕事も家庭も忙しそうだし、それに私が先につぶれてしまい今以上に迷惑をかけるのは必至であるから、黙ってハイハイ言うことを聞く。
いい人とは、どんな仮面を被っていようが、隠そうが、一瞬どこかで魂を感じてしまうものなのだ。だから、ケンカしようが、何しようが大丈夫なのだ。