今夜、子供たちは、いつにも増してよく食べた。
一番喜んでいたのは、ポテトフライ。(!)
ポテトチップスが好きなのは知っている。でもお菓子としてあまり買わない。
ただかりかりにあげたつけ合わせのポテトを、「おいしい、おいしい」と言って真っ先に食べた。(普段食べさせられない子供みたいだ。。ま、そうとも言えるか(^_^;)
それから、いんげんの油いためを作った。しわしわになるまでじっくり炒めたいんげんに、みりんとお醤油で味をつける。にんにくを入れてもおいしい。
それから、ひき肉をそぼろにして、ごはんに乗せ、真ん中に黄身を落とした。
鬱でいちいち手が震える。黄身1個つぶしてダメにしてしまった。小葱がないので、青のりを少し散らした。卵の白身と、つぶれた黄身を使って、卵焼きも焼いた。
あとは、ほうれん草とお豆腐の味噌汁。きゅうりのお新香も作りたかったが、もう、気力がなくなった。
ちょっと、油の多い献立だったけど、5品全部作ったのは、かなり頑張った方だ。
時間を巻き戻せば、夕飯づくりをするのに、いちいちバーのように、コーヒーや炭酸など飲み物を並べ、こんなご褒美ごときでもないと、取り掛かれない自分。一歩間違えればキッチンドリンカーである。
作り始めた時、こんなに作れるのかと不安になったが、ひき肉をハンバーグではなく、簡単なそぼろにすることで、少し気が軽くなった。
なぜ、手が震えるんだろう?時間に追われるような気持ちだからか。自分が家事に従事すると、なぜか孤独を感じる。それを超えて、没頭してしまえば、落ち着く。
孤独を感じるのも、変な話である。愛されているというのに。傷が愛を上回っているのだろうか。傷は簡単につくけれど、愛は、なかなかいっぱいになってくれない。でも、少しずつ少しずつ心を満たしていくと信じたい。
夕飯をなんとか作り終わり、テーブルに運び、みんなの喜ぶ顔を見る。なんて贅沢なんだと言われるだろう。そう、贅沢なのに、私は不甲斐ない。キッチンの汚れを拭き、自分の食べる分を少し取り分ける。作って、味見してしまえば、あとはあまりお腹も空いてない。食べるのも面倒だ。
あんまり「ポテトおいしい~」という声が聞こえるので、少し箸でつまんでみる。
あ、ほんと。おいしい。 なんでかお腹いっぱい、胸がいっぱいだ。
そして、いつものように薬も飲んだ。
もう、飲み忘れることもないほど、習慣化してしまった。
こんな修業のような毎日を、生きていれば続けなければならない。
幸せと苦しみは紙一重だ。幸せだった頃の気持ちにふっと戻る時がある。ずっとつかんでいたいけど、またするっと手から逃げていく。それでも、やるしかない。必要としてくれる人がまだいるなら。