タイトルを迷ったが、当面はこれで。
数少ない興味の中で、私は人に興味がある。「心理学を学びたい」と高校生の時、ある人に話したら、「あなたは人がわかってないから、だめだよ」と言われた。
私にしてみれば、世の中はわからないことだらけだ。
そうだ。ほんとに人はわからなくて、怖い。でも、わからないから興味があるってこともある。
今日は、あるブロガーさん(Aさん)のことについて書いてみたいと思う。
私が、興味を持って読んでいるブログがある。最初は、シャープなのに熱い文章が気に入って購読を始めた。しかし、その時によって、その温度は極端に違う。読み進めていくにしたがって、Aさんの書いていることが、とても良いと思う時と、自慢かこれは!(ごめんなさい)と思うような時が出てきた。
しかしAさんは、自慢も何も書いていない。事実をそのまま書いていらっしゃるだけなのだ。Aさんにとっては、努力をし、それが上手くいっておられる、ただそれだけのことなのだ。劣等感の塊の私には、それがまた嫌味にもとれて一瞬イラつく。
効率よく生きられる、善良な、うらやましい方なのだ。そして、これを読んでもこうおっしゃるであろう。「本当には人のことは人にはわからない」と。そうかもしれない。でもそれなら、これは、自分のことを書いているのではないと、思ってもらえればいい。
こんなにうらやましい方なのに、それでも「早く死にたい。死なないから、死ぬまでの時間を生きているだけである」とおっしゃる。1度や2度ではない。そういう方なのだ。一生懸命生きながら、ほんの息抜きを言っているだけなのであろうか。
もう一方、この方と対局とも思えるブロガーさんがいる。Bさんとしよう。
Bさんは言葉は違うかもしれないが、ハンデを持ちながら、それを払拭するほどの聡明さと、熱意と、人の痛みのわかる優しさを持っている。地の底に落とされても、這い上がって生きていこうとする強さを持っている。彼の文章を読んで、感動で何度心を揺さぶられたかわからない。
そう、感動するかしないか、それが大きな違いだ。心が温まるか、温まらないか。
Aさんに同調はできる。私も「早く死にたい」と思っている。でも、自分のそういう部分は、あまり見たくない、語りたくない部分だ。できればそうありたくないとも思っている。直したいと思っている。
そんなAさんであるが、私は、彼の競馬の予想と結果を記した回のブログは好きだ。Aさんの、人間らしいところが見え隠れしているからである。また、競馬を知らない私にとって、こんな風に予想し、こんな風に反省?するのだ、とわかるとほほえましくなる。
AさんはAさんのままで良いのかもしれないし、ご本人も不満はないだろう。
しかし、なぜ私は書いてしまったのだろう。
それは、長男が自閉症で3歳~12歳まで療育を受けており、そのときに、先生に「人生を楽しく生きるための大事なこと」を親子でたくさんたくさん教わったからだ。
だから、Aさんのような考え方の人を見ると、どうしてもひっかかり、気にしてしまうのかもしれない。
そう思われるのは、Aさんにとっては、不本意で迷惑極まりないであろう。
なので、なるべく気にしないように心掛けようとする。
私は、Aさんのブログも、Bさんのブログも大好きである。
しかし私情を入れれば・・どちらかというと・・。
こう言えばおわかりだろう、「私はバカである」。