雨 ときどき晴れ☀

~鬱と発達障害とつきあう日々~

アホやん

 

 そう、その通りなのだ。

 友情と好意を取り違えたアホなのだ。

 心の中では友達にも「愛してるー」と思っている。

 今でも、あまり自分の中では区別がついていないと思う。

 

 その昔、世間話と井戸端会議が苦手だった私は、人と会ったらとにかく「面白いことを言おう」という一人キャンペーンのもと、あの人に会ったらこんなこと、この人に会ったらこんなことを話そう(質問しよう)、と様々なシミュレーションをした。

 一言目はけっこう成功する。相手の人ばかりか、周りの人にも受けがいい。会話が弾んで心地いい。しかし、その会話はいつの間にか私のもとを離れ、相手と別な人のおしゃべりになっている。ちくしょー、みんなの会話のきっかけを作ってやっただけじゃねーか。いつもそんな感じであった。

 みんなの会話はヒートアップするごとにスピードを増す。そうすると、もう私はついていけない。もう、どうでもよくなるので、その場を去る。みんな、楽しそうでいいな。

 

 だから、本音は、友達は複数でなく、1対1がいい。ちゃんと向き合ってくれるから。

 今までの私の友達は、自立した一匹狼風の子ばかりであった。そして今はもう、遠く離れてお互い忙しく、会うこともめったにない。しても、年賀状のやりとりくらいだ。

 でも、連絡をしょっちゅうしなくても、人間的に大好きだから、心はつながっていると思っている。私につきあってくれた友達は、みな心優しい人ばかりだった。たくさんの星の中から、ひときわ光る星を見つけたように、この人たちと出会ったと思う。

 今はとても恥ずかしくて会えないけど、いつか、自分に自分を許容できるくらいの自信がついたら、自分から会いに行きたい。

 

 

 私はアホだという話に戻るが、近年、とても私を受容してくれる人に出会った。

 私といると楽しいと言ってくれ、食事をしたり、遊びに行こうとよく誘われた。

 私はどちらでもよかったが、その人は異性だった。気の合う人に出会ったのかなと嬉しかった。

 でも、時々、特別な好意を感じることがあった。鈍い私でも。冗談で「〇〇〇に行く?」と言ったりする。「友達でなければ、つきあえない」と言うと、「もちろん、それでいい」と言うので、そのままうやむやの関係になっていた。

  先日、決定的に、「私を友達とは思ってない」んだなぁ・・と思われる出来事があった。彼は弁解しなかった。それを見て、彼の本音だと思い、私は彼から離れようと思った。

 後日、「あのときはどうかしてた」「ごめん」とメールが来た。

 どうしたらいいのか、わからない。現実は、そんなに簡単には割り切れないことが多い。返事もできず、ずっと自問自答している。