やることはたくさんある。いちいち気にしちゃいられない。
だけど、塵みたいなことが降り積もり、悲しみになっていくんだ。
目に見える障害のある人を虐げる人は少ない。
そして、その逆もしかり、なのだ。
これは、アスペルガー症候群の長男を育てるにあたり、中学校に入るくらいまで、本当に心配だったことだ。
グレーゾーンの自分にも、生きてきて思い当たること限りない。
身に覚えがあるからこそ、子供にふりかかる物事に心が痛んだ。
どうしたらそれを乗り越えられる精神力が育つのか。。
考えに考えやれることはやるだけやった。(つもり)
『・・・この子たちはぶたれたり、しかられたり、さげすまされたり、ある意味で、私は障害児のなかで一番傷ついて不幸な存在だとも思っています。本当には理解されにくいのです。障害児としては、ボーダーラインといわれるように軽いのです。あるいは、障害児といわないほうがいいかもしれないという、境界領域にいる子どもたちです。障害児というか、いわないかはどちらでもいいのですが、一番大切なことは、この子たちに深い理解を示してあげるということだと思います。・・・』
長男は、幸い、周囲の人々に恵まれ、栄養をたくさんもらい、健やかに成長したと思う。困難があってもそれを上回る丈夫な根っこがあれば。
これからも、負けないでほしい。
自分は、そんな丈夫な根っこは育っていないのかもしれない。
許容量を超えれば、ふらつく自分。
自分の挙動のすべて、反省。
もっと他の人のように上手くやれれば、こんなふうにならずに済むのだろうか?
自分がきっと悪いのだ。
機嫌が悪いとフライパンやお玉を当てつけのようにたたいて、大きな音で私を怯えさせた母。(虐待の一つと言われている)
挨拶を返してくれないのに、二人きりになるとなれなれしく話しかけてくる人。
わからない。
話し言葉が上手くない私が失言すると、瞬く間に陰口をたたく人。
現実逃避したくなる。
悲しみがあるから、光を、綺麗なものを探してやまない。