雨 ときどき晴れ☀

~鬱と発達障害とつきあう日々~

発達障害者やグレーゾーンの人達はそういう扱いをされていいのだろうか

 

 やることはたくさんある。いちいち気にしちゃいられない。

 だけど、塵みたいなことが降り積もり、悲しみになっていくんだ。

 目に見える障害のある人を虐げる人は少ない。

 そして、その逆もしかり、なのだ。

 これは、アスペルガー症候群の長男を育てるにあたり、中学校に入るくらいまで、本当に心配だったことだ。

 グレーゾーンの自分にも、生きてきて思い当たること限りない。

 身に覚えがあるからこそ、子供にふりかかる物事に心が痛んだ。

 どうしたらそれを乗り越えられる精神力が育つのか。。

 考えに考えやれることはやるだけやった。(つもり)

 

 

『・・・この子たちはぶたれたり、しかられたり、さげすまされたり、ある意味で、私は障害児のなかで一番傷ついて不幸な存在だとも思っています。本当には理解されにくいのです。障害児としては、ボーダーラインといわれるように軽いのです。あるいは、障害児といわないほうがいいかもしれないという、境界領域にいる子どもたちです。障害児というか、いわないかはどちらでもいいのですが、一番大切なことは、この子たちに深い理解を示してあげるということだと思います。・・・』

            「続 子どもへのまなざし 佐々木正美著 福音館書店」      

          

 

 

 長男は、幸い、周囲の人々に恵まれ、栄養をたくさんもらい、健やかに成長したと思う。困難があってもそれを上回る丈夫な根っこがあれば。

 これからも、負けないでほしい。

 

 自分は、そんな丈夫な根っこは育っていないのかもしれない。

 許容量を超えれば、ふらつく自分。

 自分の挙動のすべて、反省。

 もっと他の人のように上手くやれれば、こんなふうにならずに済むのだろうか?

 自分がきっと悪いのだ。


 

 機嫌が悪いとフライパンやお玉を当てつけのようにたたいて、大きな音で私を怯えさせた母。(虐待の一つと言われている)


 挨拶を返してくれないのに、二人きりになるとなれなれしく話しかけてくる人。

 わからない。

 話し言葉が上手くない私が失言すると、瞬く間に陰口をたたく人。

 

 現実逃避したくなる。

 

 悲しみがあるから、光を、綺麗なものを探してやまない。