物心ついてからというもの、ほんの一昨年まで、死と背中合わせの悩みと生きてきた。
悩みが、ぼーっとした子供だった私に物心つかせた、と言ってもよい。
それ以来、毎日心身の不自由と闘いながら生きながらえること、いつかこの悩みを解決させることを目標にして、何とか過ごしてきた。
一言で「過ごしてきた」とはとても言い難く、解決する糸口も長いこと見つからず、死んでしまった方が楽に違いなかった。
中学、高校の自転車通学では、車を確認せず交差点にいつも飛び出していた。一思いに、誰か私を轢いてくれないかな?生きることに疲れて、ぼんやりそう思っていた。
ひとりぼっち。今でもそんな自分を、夢に見て苦しむ。
最近は、人とのつながりや温かいやりとりが少なからずできるようになって、幸せを感じる。
こんな風になれるとは、今でもちょっと信じられない。
幸せは、人それぞれだ。何が一番とは言わないけど、自分にとっては、人と分かち合うことが、一番欲していたことだったように思う。
まだまだ、社会という土俵に上がれたばかりの、コミュニケーション初心者ではあるが。
たとえ死ぬほどのハンデがあったとしても、一生懸命生きることは大事だ。今更ながら思う。
私は、全うできたには程遠いかもしれないが、子供に恵まれ、子育てを頑張れた。
みっともなく、恥ずかしい姿であっても、心を殺して頑張った。
子供は、神様からの贈り物であったと思う。
頑張って生きていれば、何かしら良いことがある。
そこまで、生きられるか、否か。
近年の悲惨な、物騒な事件の数々、心が痛む。
もう一息かもしれなかったのに、頑張る力や愛が足りなかったのか、生きることをあきらめた人々。。
どれだけこのようなことが繰り返されるのか。
「ひとりたりとも、見過ごさない」
「ひとりたりとも、愛さなくて良い命はない」
この社会は生ぬるい。
もっと、厳しい、暖かい愛と、人を育てるための教育が必要である。