よく、飴玉を常備していて、出会った人にホイホイあげる「大阪のおばちゃん」なる方の話を聞くのだが、本当かどうかは別として、自分にもその要素が多分にあることを自覚している。
それなりの値段のするものなら、美味しいものはたくさんあるが、手ごろでホイホイ人にあげられるもので、「あら!美味しいじゃない」と一瞬喜んでいただけるものを見つけると、嬉しくなり購入、人様に押し付ける差し上げる、ということをよくやっている。
特に見返りを求めているわけでもなく、なんだろうなぁ~、一緒に「美味しい」とかその食べ物に関する話題を共感したいのだろうか?自分でもよくわからない。
今日は、新聞販売所にキッコーマンさんの豆乳を差し入れしましたよ。
豆乳がダメな方のために、+野菜ジュース、+炭酸飲料少々。
我が家では、ふだん安い低脂肪の牛乳を常飲していたのですが、昨年、長男の豆乳好きが発覚してから、たまに豆乳を買ってみるようになり、ふと買ってみた「マカダミアナッツ味」に私がはまったことから、いろんな種類を試すようになったのです。
今は、飽きのこないプレーンな「調整豆乳」か「アーモンド」意外に糖質の低い「黒ごま」がお気に入りです。たま~に「メロン」も爽やかで飲みます。
他には、いちご、コーヒー、抹茶、バナナ🍌
スポ少で活躍したクーラーバッグに氷や保冷剤と一緒に入れてキンキンに冷やします。
若い方にはメロンが人気で、年配の方たちは、やっぱりカロリーや脂肪などチェックされて、貰っていかれましたね。
配達後の、ほてった体には喜ばれたかなと思います。
こちらも、お安くてさっぱりとした甘さ控えめのデザート。
これも他に「抹茶」「ミルク」があります。お勧めです。
お隣さんがお引越しの時は、ストックを差し上げました。
先日、久しぶりに布マスクのリクエストがあったため、作って差し上げたら、お礼に葡萄をもらいました。
話はちょっと変わるのですが、
今朝、主人が遅い朝食を「自分でラーメンを作って食べる」というので、昨日の残りの「麻婆豆腐もあるからどうぞ」と言った。
麻婆豆腐は、3人分くらいあり、子供2人分はゆうに残る=子供の一食分は、作らなくていい、とふんでいた。
テーブルには、子供たちに、「麻婆豆腐とご飯チンして食べて」とメモ書きを置いていた。
私はシャワーを浴び、出かけようとしたところ、ふと鍋を見ると、麻婆豆腐がほとんどなくなっている。
ジャーをのぞくと、白ごはんも、ほとんど残っていない。
ラーメンを作るのをやめ、麻婆豆腐で大盛り食べて出かけたらしい。
私は、だまってお米をとぎ、ほっけを焼き始めた。焼き魚だから味噌汁もついでに作った。
せめて、そんなに食べたのなら、「ご飯、もうなくなりそうだよ」とか、一言あってもいいと思うが、次に食べる人、ましてや作る人のことなど、考えられないのだろうし。
人に「死ね」と思うのも面倒なので、自分が早く死んだろ、と冷静に思う。
そう、そう思うことは、日常生きていれば、常にある。
人に怒るのも疲れるし、言って何が直るわけじゃないし。
それは、事の大きさとか、関係ない、
その時は、本気でそう思うものだ。
だから、死を選ぶ人の気持ちがわからない、なんていう人の気持ちがわからない。
出かける予定は狂ったが、作りたてのじゃがいもとモロヘイヤの味噌汁を口に運ぶ。
熱々なので、扇風機を強くして、
夏なので、少し濃い目のみその香りと、モロヘイヤのとろみ。
じゃがいもはメークインだが、少し煮くずれ加減でおいしい。
炊きたてのご飯も、絹の冷ややっこも美味しい。
健康で美味しいと感じることに幸せを感じる。
そう、人がどうではなく、自分自身が感じる幸せを考えることだ。
新聞配達は、8月から60部増えた。
全部で180部、ベテランさんがするような部数になってしまった。
教えてくれた社員さんが親切で、大変だけど、がんばろうと思う。
来年は夫の扶養を外れないといけないかもしれない。
そんなの知ったこっちゃない。
目の前のことを一生懸命するだけ、
仕事仲間に恵まれ、そういう出会いがいやな出来事を上回る。
自分もいい仲間になり、周りの人を少しでも生きやすくできればいい。
プラスのスパイラルを増やすことが、世の中を明るくする方法だ。
結果はどうあれ、そういうふうに生きて散ればいい。
難しいのか?
簡単でしょ。