全力で問題に対峙している時は、過呼吸になったり、汗が流れたり体調は変化すれど、ただ夢中なだけで泣き時ではない。
新聞配達で大雪でも、バイクがはまろうが、なかなか進まないなりに工夫して、激闘?の末何とか終わらせる。
日中、気温が上がり、地面が見えた時、少しアスファルトを走れるようになった時に、ほっとして、じーんとくるものがある。
雪がなくなる春が待ち遠しいが、それなりに仲間の援護があったり、心が温まる。なので悪いことだけでは決してない。
昨年12月24日夜、なんとなく食欲がなく、次第に吐き気がし出して、2度吐いた。下痢も2回。胃腸炎だな、と思った。
胃腸炎であれば、アルコール消毒は無効なので、そろそろ胃腸炎の流行る季節だからと先月買っておいた「ステリPRO」という比較的高濃度の次亜塩素酸水を出し、スプレーボトル4、5本用意した。
トイレに1本、リビングのテーブルに1本、玄関に1本、私が持ち歩き拡散しないための1本。
熱も38℃ほど出たので、まず新聞社に連絡、明日の配達を休ませてもらうことにした。
ただ、次の日から、長男を新聞社に日中アルバイトに行かせることになっていたので、念のため、コロナかどうか検査してもらおうか、ということになった。陽性であれば、長男も行かせられない。
夕方ギリギリの時間に間に合い、内科で問診を受け、その時点で「胃腸炎でしょう」ということになった。PCR検査は、コロナの可能性が低いため、今回は受けないことになった。
ほどなく吐き気と下痢は治まったが、熱もあるし、明日は弁当屋の仕事納め。
とても食品の配達はできないな、と、早朝会社に電話。
すると、珍しく社長が出て、
「田中さん、話があるから、悪いけどまた午後になったら電話ください」
とのことだった。
端的に言うと、会社の20日と23日分の弁当からノロウイルスが出て、調理員3人からも無症状ながら検出されたのだという。
私も23日のお弁当を食べており、その影響だった。
会社は26~28日の営業を自粛し、さらに1月4日まで消毒や清掃、保健所の指導を受け、まだ陽性の従業員は休ませての、5日からの営業再開となった。
私は、4日の再検査のため、検査キットを持って会社に行くと、事務所は案の定、顧客対応でてんてこまいしていた。おそるおそる
「あの、○○病院(私の担当の配達先)は、被害出ましたか?」
と聞くと、
「うん、けっこう出ましたよ」と栄養士さんに言われた。
もう、顔面蒼白、半ベソ状態である。
このご時世に、医療関係者にご迷惑をかけるとは・・・
患者さん達にも影響が出たことは間違いないだろう。
なんてことだ・・
検査結果は陰性となり、5日は通常出勤と連絡がきた。
年末年始ずっと考えていたが、もう病院からは撤退だろうと思った。
撤退しないのであれば、自分が辞めようと思った。
ユニフォームもクリーニング済みで、辞表も書いた。
5日は病院内部署30か所、謝罪してまわるようなので、席を外しているお客様のために、謝罪の文書を作って、時間がないので朝コンビニでコピーして用意した。
いつもごひいきに注文頂いていたのに・・
どんな顔をして行ったら・・
1か所目、挨拶して中に入ると、いつも注文頂く方たちがいたので、
「この度は、会社の不祥事により、多大なご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした」
と言ったところで、言葉にすればするほど、事の重大さと申し訳なさでいっぱいになり、
「医療関係者の皆様、患者の皆様に・・大変な被害を・・申し訳ございませんでした・・」
こらえながら頭を下げ、
「症状のあった方はいらっしゃいますか?」とお聞きするのが精いっぱいだった。
その部署では幸い症状のあった方はなく、
「今日は注文していいんですか?お願いしますね」
と言って下さった方もいた。
もちろん、被害の大きかった部署もあり、当然ながら、救急室、手術室など、また病棟の半分以上は、他のお弁当屋に切り替えられた。
医療を守るためにも、不祥事のあった会社のものを食べるわけにはいかないし、私自身、当分自社のお弁当を食べたいと思わないのだから、いくらもう大丈夫です、と会社が言ったとしても仕方ない。
この日はこの病院では、注文が結局20くらいあり、いつもよりははるかに少ないが、社長はとてもポジティブに捉えていた。
そして、昨日に至っては、夕食の注文が予想より多かったため、経営的にはほっとしているのではないか、と思う。
配達員の仲間と話をしていると、やはり皆精神的ダメージが大きく、
「眠れない」
「ルート回りしたくない」
「会社名の入った車に乗りたくない」 などの声があがった。
まだ子供の小さいママ達もけっこう働いており、心が痛む。
社長は謝罪回りに多忙で、この病院に訪れたのも、やっと一昨日だったらしく、また総務課1か所だけだったらしいので、やはり実際食べた人に謝罪が必要なので、
会社で社長が作った「状況説明と謝罪文」を見つけてコピーし、昨日また配りながら頭を下げた。
「昨日、社長が謝罪に伺いましたが、全箇所回ることができず、申し訳ありません。本人が書いた文書がございますので、営業再開までの経緯と、謝罪文を読んで頂いてもよろしいでしょうか・・」
部署によっては、「この文書は総務課から頂きました」という所と、「いえ、初めて見ました」という所があり、やはり、念には念を入れ、末端まで訪ねて謝罪するべきだと思った。
さて、病院内を駆け回り、謝罪と説明をする中、息を切らしていると、顔馴染みの看護師の方が私に駆け寄り、
「大丈夫?」と心配そうに顔を覗き込んで声をかけて下さった。
「はあ、私なんぞの替わりは誰でもできますが、専門職の皆さんの替わりはいませんから。。」
「うちの課は大丈夫ですから、今までのように注文取りに来て下さいね」
などと励まして下さった。
それから、私のどん詰まりながらの、たどたどしい謝罪を、静かに聞いて下さった各病棟の師長さん達。
他にも、いつものように声をかけて下さったり、当日お弁当を召し上がった方でも、
「大丈夫、平気だったよ」
「今まで以上に気をつけるでしょうから・・・やめないでね」と言って下さる方もいた。
精神的にきつい一週間だったが、ふと励まして下さった方の顔を思い出すと、じーんと視界がにじむ。
この正月に退職を決めたことの是非をずっと考えている。
社長に「田中さんに、頑張って信頼と数字を取り戻してほしい」と言われた時は、反発しかなかったけれども。
『えっ、どの面さらして行くの?病院だけでも撤退でしょうよ!』と。
実際人に会って話をすると、自分の弱点でもあるが、情に流されぶれてしまう。
しかし今回は、人の優しさが身に沁みすぎた。しかも、被害に遭われた側の方々から。どうしたらいいんだろうな。。