今日はだいぶ暑さが和らいでいます。実生活からしばし離れて、久しぶりの妄想?でも書いておこうかと思います。
一回り年下の、大好きな人の話です。
数年前の知り合った当初、私は内外面ともに落ち着きがなく、体調が良くなったばかりで調子に乗ってもいたし、ガツガツしていました。まぁ今も落ち着きはありませんが・・・
それまでも、良いも悪いも、人にはちゃんと気持ちを伝えたり、より言葉にして表現するのがいいと、なんとなく思っていました。(長きに渡る子育ても影響していたのかもしれません)
共通の元同僚が、病気で退職し、療養中だった時のこと。
私は入社したてでしたが、彼はその元同僚と長いつきあいで、年は離れていたけど、なかなか気の合う仲良しでもありました。
彼は、元同僚と、いつでも連絡がとれる環境にありました。
なので、私もその人にお世話になったこともあり、彼に
「○○さん、どうしているかな、連絡してみた?」と聞いてみたところ、
「俺とか、会社の人間が連絡すると、仕事のことを想い出しちゃうだろ。忘れてゆっくりした方がいいんだ」
というような返事が返って来ました。
確かに、その元同僚の方は、当時の所長に仕事のミスをきつく怒られたり、忙しかったり、ストレスが多く病気になった可能性大でした。
家庭でも、子供さんに障害があったりと、大変ではあったようですが、とても優しくて、頭の回転が速く、面白いことを言って場を和ませてくれるような人でした。
私は、知人友人がケガや病気などするようなものなら、可能ならすぐにお見舞いや、メールなどを送らなければ・・と思いがちでしたが、(相手も、それを求めているような気がしていました)
距離を置くことも、思いやりなんだな、と初めて思いました。
下手すると、冷たいやつと思われるかもしれない対応ですが、自分がどう思われようが、こういうことが本当の気遣いなのかな、と感じました。
彼は、いつも静かな佇まいで、落ち着いていて、人を良く見ています。
それに比べ、幼くはしたない自分ですが、少し彼を見習うようになりました。
特に、子供に対しては、より一歩下がって「見守る」ことが多くなりました。
人への接し方も、少し変わったような気がします。
それから、彼に対しても、最初は成就しないことに悲しみも感じていましたが、今は、いつお別れしても、一生ものの幸せを頂いたからいい、と思えます。
その幸せとは、「人を信じられること」に尽きます。
どのような形でも、別れる時に私のことを考えて、優しい彼は苦しむかもしれませんが、
その時はさっさといなくなって、彼の幸せを祈りたいと思っています。
それがせめてもの恩返しかなと思います。