誰に話したいわけではありませんが、きっと捨て記事になるでしょう。
たくさんの種をまいて待ち、そのうちのいくつ芽が出るともわからないのだから。
つらつら書きます。
ペットを飼おうと、SNSで活動しようと、孤独な人は孤独なのでしょう。
孤独な人はあまり自分を曲げ(られ)ません。
人の意見を聞かないか、または否定的に取ることが多く、そして相手に不満を抱きます。
被害妄想感が膨らみ、負のスパイラルに入っていきます。
なぜ苦しいのか、自分で気付けるなら苦労はしません。真綿で首を絞められるような毎日です。
たいてい、親切な人からちょっと刺さるくらいの言葉をもらって初めて、心に残り、「我が事か?」と考える可能性があります。
私にもその傾向があったこと、発達障害の子供さんや親御さんに触れる機会がある中で、かなりあるあるな事の1つでした。
思い違いもあります。自発的に気づくには時間を要したり、気づかずに終わることもあるでしょう。
孤独から逃れたいなら、人の意見を聞くこと。その際自分のためになると思って、悪く考えないこと。相手がどうであれ、自分を修正しながら、自分の良さをもっと輝かせ、人と楽しい人生にする目標を持つこと。
魂を売るわけじゃない、人の意見を取り入れてみよう。
例として、服装や見た目なら、内面よりわかりやすい。清潔感やきちんと感、意外な似合い感、取り入れてみたら、思ったより、周りの人も褒めてくれるかも。お安い御用です。
内面や言動を直すのは、ちょっと大変。でも素直に聞く、そういう自分を、長い目で見てくれるような相手は、良い人だと思います。
性格からして、悔しいことバカにされていると思うこと、日常たくさん起きるでしょう。
長い人生、ちょっと我慢して、すぐには変われないけど、その意識を持ってみよう。
それが周りの人との壁を壊す方法です。
私も長い間、一生に一人でいいからいろんな場面で笑い合える親友が欲しいな~と思っていました。
自分のやるべきことだけを頑張ってもだめ、人に「わかって欲しい」と思っているだけでもだめ。
周りを楽しくさせることを一日1個、から始まった自主無期限キャンペーン、そのためには、相手のことを考えるわけです。
自分が受けて嬉しい、嫌じゃない程度はどのくらいか?
いつの間にか、長い年月の中で、良い友達が何人か出来ていました。
姿勢や素地ができれば、何人とでも良い関係性が出来ていきます。
悩みも出てきますが、良い友は男女年齢別問わず、彼らなりの素敵なアドバイスをくれます。話を聞いてもらえるだけでもスッキリした気持ちになれます。
話さずともその存在だけで元気が出ます。
自らも相談相手になれるよう、役に立てるよう頑張ろうと思えます。
一生懸命であれば、同じような人が集まって来ます。頑固なまま、それでいいんだと放っておけば、人は寄って来ないし、表面だけもっともらしい事を言う軽い人と安易に繫がってしまったり、最後に嫌な思いをしたりする可能性もあります。
私は一人の時間が好きです。誰しも必要だと思います。
社会的にもプライベートにも、人と過ごす時間もなくてはなりません。バランスよく過ごせて初めて心が満たされます。
何週間か前のフジテレビ ホンマでっか⁈TV で、何のお悩みの回だったか忘れたのですが、武田先生だったか池田先生だったかが、
「歳をとり、その辺にいる誰にでも声をかけられるようになるのは、人間としての成長だ」と言っていました。
「若い人の孤独死も増えていて、年配になってもあまり社交的でないことが、暗い老人を作ってしまう」「いい歳のオバちゃんが、分け隔てなく話しかけられる、というのはコミュニティを作る意味でも良いこと」
ということです。
私も、すでに自由にそれができるようになっていて、年を取って楽になったことの1つの理由だと思っています。
恥をかくことより、コミュニケーションをとる楽しさの方が、どんどん増してくるように思います。
こういったことも心の片隅に置いておいたら、少し参考になるのではないでしょうか。
しかし、大多数派の常識の社会で努力され、上手く立ち回れている人であっても、能力の高さゆえの結果であったり、やはり「持たざる人、の気持ちがわかるのか?」といったら疑問である。
こういう人達も、生き辛い人を理解しようという気持ちを持ってくれたら、少し明るい優しい社会になるような気がする。
正しく上手くいっているから支障がないようでも、頑固で、考えを曲げない人はたくさんいます。難しい。