雨 ときどき晴れ☀

~鬱と発達障害とつきあう日々~

俳優でアーティストのYOSHIさんの運転する大型バイクが11月5日0時過ぎ、トラックと衝突。YOSHIさんは搬送先の病院で死亡した。19歳だった。 【写真】AERA表紙を飾ったYOSHIさん まっすぐにカメラを見つめた YOSHIさんは13歳の頃、当時ルイ・ヴィトンのディレクターだったヴァージル・アブローにその存在を見出され、モデルデビューを果たした。19年にはミュージシャンとしてアルバムをリリースし、映画「タロウのバカ」で演技未経験ながら主役に抜擢。菅田将暉ら実力派俳優に引けを取らない演技が注目を集めた。週刊誌「AERA」でも、同年12月23日号でYOSHIさんを表紙に起用した。 モデルであり、歌手であり、俳優でもある。そして当時のYOSHIさんは、バラエティー番組で大御所芸人にタメ口を使ったことで、ネットで炎上中。まだ16歳でありながら、複数の肩書きや型破りなイメージを持つYOSHIさんをどう捉えるか、調べれば調べるほどわからなくなった。 表紙の撮影では、自由奔放に動き回る。寝転んだり、飛び上がってみたり、最後には脱いだ靴を頬の横につけてみたり。雑誌の表紙を飾るのは初めてだというのに、緊張する様子はまったくない。 自然体な姿はインタビュー中も変わらなかった。ただ、想定外だったのは、質問の一つひとつに丁寧な言葉で受け答えし、「タメ口で無礼」という世間のイメージとは真逆だったこと。そう問いかけると、ネットの反応は狙い通りでもあるとして、こう答えていた。 「たとえアンチであっても、興味を持ってもらえないことのほうがつらい。テレビでの僕と実際の僕は変わらないけど、根っこはすごい真面目なんですよ。常に無邪気でバカで、さっきの撮影みたいに『もっとこっちにきてよ!』という自分もいれば、『YOSHI、まっすぐ進むときはいいけど、こっちを超えちゃダメだ』って落ち着いているもう一人の自分もいるんです」 タメ口は使う。だが、「ありがとう」や「よろしくお願いします」といった挨拶も徹底する。芸能界の大御所や大企業の社長であろうが地元の友達であろうが、目の前の人としっかり向き合うことが大切だと考えているようだった。

 年上の知り合いが多く、「友達はほとんど30歳以上」だとも話していた。「銭湯で知り合ったじいちゃん」と「企業の偉いじいちゃん」をつないだこともあった。どちらも78歳で、銭湯のじいちゃんは年金をカラオケパーティーで使い切るパワフルな人。病気をして元気がなくなっていた偉いじいちゃんに紹介して、二人は意気投合したという。

 芸能人同士をつなげるのは簡単だが、まじわることがない人たちをつなぐことで生まれるものがある。そんなYOSHIさんの思いを感じるエピソードだった。 サブカルチャーが好きな一方で、矢沢永吉デヴィッド・ボウイにも憧れていた。ただ、「そうなりたい」というよりは、YOSHIという存在を自分でプロデュースしているようでもあった。 YOSHIさんの訃報を聞いたとき、「表現」について話していたことを思い出した。

 「よく、『YOSHIさんアーティストなんですね』と言われるけど、みんなアーティストですよ。たとえば会社員の人には、その人なりの経理のやり方がありますよね。それって自分を表現している。僕はその表現を表に立ってやっているにすぎない」 「いくつになっても、偉くなっても、常に謙虚で学ぶ姿勢があって、自分で吸収するんです」

 そして、人前に立つアーティストとして、「吸収したことを世間に伝える」ことの大切さも話していた。自分の姿や言葉を見て、一人でも元気になってくれる人がいればうれしい、とも。今後の夢はと聞くと、こうも返ってきた。 「夢はわからないけど、目標はありますよ。嘘のないものを増やしたい。SNSで何でも手に入った気になる今だからこそ、リアルなものを大切にしたいんです。僕、『死と狭間』って言葉がいいと思っていて。常に死ねる覚悟で、毎日を丁寧に生きたほうがいい。明日があるからいいやじゃなくて、明日がないから今どうしようと考える。人生は一回きり。こうしてインタビューしているのも、一つひとつの言葉はもう取り返せないですよね。今この瞬間にどれだけ全力でぶつかれるかというのは、とても大切なことだと思うんです」 そう語ったかと思えば、「すげー汗かいちゃった」「アツくなっちゃった。お腹空いた!」とこぼした。常に全力で、エネルギーに溢れたYOSHIさん。最近は、X JAPANのリーダー・YOSHIKIがプロデューサーを務めるボーイズグループオーディションプロジェクト「YOSHIKI SUPERSTAR PROJECT X」でボーカルとして合格するなど、新しい挑戦を始めたばかりだった。ご冥福をお祈りいたします。編集部・福井しほ) ※AERAオンライン限定記事

 

 

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 ニュースで名前が目に入り、もしかしたらと思ったら、本人でした。

 バラエティ番組で何年か前に見かけました。奇抜なファッションで、さんまさんクラスにもため口でしたが、どこか恥じらいや愛嬌を感じさせ、一生懸命でいい子だと思いました。

 型にはまらず、独自の考えや発言には時々注目していました。生きていれば、日本を元気にしたかもしれない逸材だったと思い、とても残念です。

 私自身は、自分の好きな世界をあまり家族や子供と共有せず切り離しているせいか、ずっと息子たちと同年代だったことに気付きませんでした。

 これからの活動が見たかったです。

 ご冥福をお祈りします。