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雨 ときどき晴れ☀

~鬱と発達障害とつきあう日々~

一番やさしかった

 

 結婚する前、調理師をやっていた。

 あこがれていた人の店に履歴書を送ったら、採用されたのだ。

 以後、その人について、毎日一生懸命働いた。その人も、ぶっきらぼうながら、私をほめたり、可愛がったりしてくれた。器が大きく、優しくて従業員みんなから慕われていた人だった。

 従業員数が少なかったこともあって、店は忙しさを極めた。1週間に1度の休みも、月に1度は顧客むけの料理教室で一日つぶれた。

 私は、もともと体が弱かったこともあり、何度も倒れそうになった。家に帰ると、夕飯は寝転んで食べていた。朝はやっと眠い目をこすりこすり起き、慢性的に疲れていた。腱鞘炎になった。

 いつか自分の店を持つのが夢だったが、そんな日々の中、現実的に厳しいのを実感し、また結婚するのかしないのか考えた時に、できるならしたいと思うようになっていった。

 その人には奥さんがいたし、私にもパートナーがいたので、師匠と思うだけで、仕事以外でのお付き合いはなかった。むしろ、そういう清く正しい関係が誇らしかったかもしれない。その人も、仕事に全力を注いでいて、私は深く尊敬していた。

 

 それから何年か過ぎ、私は結婚退職することになった。

 ある定休日、その人から、書類を取りに来れるかと電話があった。それで私もついでにクリーニングした制服を返しに、菓子折りとともに店に持って行った。

 その人は、倉庫で在庫を調べていた。私はコーヒーでも・・と言ってコーヒーを入れて終わるのを待っていた。

 一段落して一緒にコーヒーを飲んだ。私は今までの感謝の気持ちを素直に話した。その人は黙って聞いてくれた。

 ふと、その人はポケットから小さい包みを出した。

「これ、退職祝い」開けていいのか、迷った。

「たいしたもんじゃない、あとで開けて」「あ、ありがとうございます」

その人も、思い出話をしてくれた。私が最初はドジで心配したこと。経営が大変だったが、頑張りに自分も奮起したこと。なんだか、じーんと泣けてきてしてしまった。それから、これからの自分の夢も。話しているうち、ふとその人は黙り、私をまっすぐ見て言った。

「お前、俺のこと好きか?」

 コーヒーを吹き出しそうになった。軽いパニック。それは・・それは言ってはいけないことじゃ・・

 そんなこと言わない人だと思っていた。安心していたのに。それから先は、何を話したのかあまり覚えていない。こんなぶっきらぼうな人が、ぽつりぽつり一生懸命私を口説いている。夢のようだった。

「嫌ならいいんだ」と言われて気が付くと、ソファに並んで座っていた。「こんなところで、ごめん」「・・・怖いです、Kさん」そう言うと、髪や背中を何度も撫でてくれた。

 どのくらい時間が経ったのかわからない。でも、私の心の中にしまっていた、その人が男だという意識が、いつの間にか引きずり出されてしまった。その人は、どうしてほしいか私に聞き、私は、駄々っ子のように、わがままを言ってしまった。誰にも言えなかったこと。やさしくしてほしいと。

 いいんだろうか?言いながらもずっと迷っていた。

 どうして、こんなことを急に?とも思った。そんな人ではないはずなのに。

 (一旦切ります。つづきます)