私が生きるに最も必要だった言葉である。
それは・・『嘘も方便』という言葉。
これはわりと私にとって意味が深い。
私は、何かと自分に自信のない子供だった。もともとは山の中で育ち、自然児のお転婆だったが、小2で転校してから、環境の変化に慣れず、大人しくなり、自由闊達さもなくなってしまった。自意識だけがやけに発達した時期といってもいい。
それなのに、学校では花々しく学級委員をやらされたり、陸上選手に選ばれたり。学級委員は、半分押し付けられて、やっていた。上手くみんなをまとめられるわけでもないのに、正直困った。大変だった。
陸上やリレー選手に選ばれると、「いい気になるなよ」というカミソリ入りの手紙をもらったり、中1のバスケ部だった時に、スリーポイントシュートを2回連続決めたら、先輩に呼び出されて「生意気だ」と小突かれた。自転車をパンクさせられたりもした。
本当は、怖くて、泣きたいことが多かった。でも、そんなそぶりをみせたら、ますます嫌がらせがエスカレートするだろうと思った。
だから、そんなの平気、何も感じていない、堪えていないふりをした。
当時のことを聞いてみても、クラスメイトだった人は、私の明るい性格しか覚えていないという。大袈裟にいえば、周囲をだますには、まず自分からだますことである。
自信がないにもかかわらず、「みんな私をうらやましく思って、やっかんでいるんだ」と思うことにした。そうしないと、怖くて震えて立っていられなかったのだ。
自分に嘘をついて、強いふりをする。強いふりをして、なんとかその場その場を切り抜けていた。
友達に、いじめられている子がいた。あまりにひどいので、震える体に「自分は無敵」と言い聞かせて、いじめっ子のところに対峙しに行った覚えがある。
特に通っていた中学校は、校内暴力などで一部荒れていて、怖かった。そういう時代だった。
不登校になりかけたが、親が理由も聞かず、許してくれなかった。
体調が悪くても、「自分は元気なんだ」と言い聞かせて頑張った。おかげで、疲れ果て休みの日は一日ぐったり寝込んでいた。
それから、思い出すのは、長男が小さかったころ、かんしゃくがひどく、子育てが大変だった時。 少しのことがストレスになり、泣き叫ぶ長男を、何度虐待しかけたことか。心では泣きながら、「この子はかわいい」と言い聞かせた。そうすれば、少しはそう見えてくるものであった。本当は「かわいい」と思う余裕などなかった。しかし、最初は嘘でも、言い聞かせているうちに、そんな気持ちになったりもするのだ。そうやって、ピンチを切り抜けて来れたかはわからないが、そうしなければ、生きてこれなかった。
自閉っ子の長男は、発達が遅く、気持ちも弱かった。私のように。千回でも、二千回でも、「できるよ!やってごらん」と励ました。できるかどうかはわからなかったが、そうしているうちに、ゆっくりと彼はいろんなことができるようになった。
私は弱い人間だと思う。でも、今日も「できない」「怖い」と思いつつ、「いや、何でもできる人間なんだ」と言い聞かせる。何度も挫ける。そしてなんとか、一日を生き抜く。
映画『ライフ・イズ・ビューティフル』も、厳しい環境の下、優しい嘘の積み重ねで、生きる希望を見出していた。
嘘は決して悪いことじゃない。そう思う。
嘘は決して悪いことじゃない。
だけど・・
私は、子供に、気持ちが素直に言えるよう、言って周囲に助けてもらえるよう、療育の先生の指導の下、ずっと教えてきた。
時として人に甘えられるように。。
できれば嘘は最小限に、本音で生きられるように。
私のように、生き辛くならないように。 そして人に愛されるように。。
そして、子供たちの座右の銘が、好きな言葉が、私のそれとは違うものになることを願っている。