金曜日の午後、一週間の仕事を終え、とある大型激安店に飲み物をまとめ買いに立ち寄った。この週末は、真夏並みの暑さがぶり返し、もうしばらくジュースやアイスコーヒーにお世話になりそう・・
麦茶だけというわけにもいかず、重たい飲料品をうんこらしょと買い込む。車に荷物を積んで、カートを店内に戻そうと歩きだしたところ、赤ちゃんを抱っこした若い女性が、やはりカートを戻そうとしている。段差のあるところを、重そうに空のカートを動かそうとしていた。
「一緒に片づけますよ」
女性に声をかけたところ、「いいんですか?!」と笑顔に。少し泣きそうな笑顔にも見えた。
こちらは、子供も大きくなり、身軽な体だ。お安い御用。
そんなことで感謝されては、恥ずかしくなってしまう。
赤ちゃんをちらとのぞくと、髪の毛が、この暑さで汗ばんでいるのが見えた。
子育ては大変だ。
少しでも周りからの援助を受け、負担が少なくなることを願う。
このブログでも、子育てのことについて色々書かせてもらっているが、特に、長男(高2)の子育ては、本人がアスペルガー障害だったこともあり、困難であった。
敏感で、自分の寝返りで目を覚まし、かんしゃくを起こして泣き続ける。外で遊んでいる以外は不安なのか機嫌が悪く、ほとんどの時間をなだめて、あやしてすごした。
人に預けたり、頼ろうとしても、ストレスで二次障害を起こす。
それをなんとなくわかっているから、頼ろうともあまり思わなかった。
肺炎で入院した時以外に、休みは全くなかった。
少し大きくなってくると、幼稚園や学校にいやでも行かせなければならない。言葉の遅れ、コミュニケーション、友達関係、すべて心配だった。
3歳のときに受け始めた、療育でいつかよくなると、信じるしかなかった。
いつのまにか、家は、同級生や近所の子供たちの遊び場になって、私も大勢を遊びに連れて行ったり、お腹が空いているとなると、ちょっとしたものを食べさせたり、長男が少しでも人慣れするように、楽しいと思えるように動いた。
長男のために始めたことだが、いつか、子供たちみんながかわいいと思えるようになっていた。それぞれのお母さんたちからは、感謝された。家庭環境においても、性格的にも、いろんな子がいたが、今でも「あの子元気にしてるかな」と気になることがある。手のかかった子はなおさらである。
長男は小学4年生くらいで、だんだん落ち着いて人の話が聞けるようになってきた。
私も、話すことが通じるようになってきたので、悪いことはよく言って聞かせるようになった。
長男が5年生でスポ少野球に挑戦した時、心労でうつになり、しばらくダウンした。
野球はチームワークだ。難しいスポーツである。迷惑をかけないか、とても心配だった。
この時は、試合を応援にも行けず、周りの人にお願いするしかなかった。
幸い、長男は人に恵まれ、能力をのばしてもらい、ファーストやピッチャーをさせてもらうまでになった。
私の体調の良かったある日、家族で大きな公園に出かけた。
私はぼーっと、男子たちの、キャッチボールする様子を見ていた。
長男の、思いもよらなかった美しいフォーム。手の返し。
ボールは、大きな弧を描き、スピードに乗って、相手の構えたグローブに収まった。
そして笑顔。
あのときの、静かな感動を忘れない。
それから私は、無理をして授業参観や、部活に顔を出すことはなくなった。
少しこれからは、周りにお任せし、見守っていていいのかもしれないと感じたのである。
中学の壁を越え、高校受験を越え、今に至るが、まだ振り返るには早いかもしれない。
でも、考えるに、普通の子育てでは、家は、だめだったかもしれないと思う。
目から鱗の療育方法、子供への接し方、専門家の指導がなければ、ここまで親子共々、成長できただろうか、と思うのである。
どんなに普通の正義を訴えても、それが届かない、場合もあると思う。
とりこぼされる人々に専門家の指導を、と思う。
痛ましいニュースが流れるにつけ、ますます難しくなる時代に、専門家の重要性をもっと意識しなければならないと感じる。
補足・・長男が療育を受けた先生は、体調を崩され、長男が小6の時に廃業されてしまいました。
最後まで、先生は、ご自分の指導方法を文章化・マニュアル化しようと努力されていましたが、うまくいかなかったようです。
残念ですが、長男がベストな年齢で療育を受けられたことを非常に幸運に思います。
先生のご指導と励ましがなければ、私は長男を理解できずに挫けて、いつか虐待していたかもしれません。
そういった専門機関があり、仲間と出会い、励まし合ってこれたのも、大きいと思います。
専門家の指導と、世間の人々の優しさをもっと社会に、と願っています。