覚えていることをかいつまんで。
去る4月22日。
お弁当・給食の配達が終わり、もう2件ほど集金をして会社に帰ろうと車を走らせていた時、衝撃で気が付くと、道路を外れて歩道を乗り越えてしまっていた。
あわててハンドルを切り立て直そうとしたが、そのまま歩道脇のフェンスに左前側を突っ込んで停止した。
とっさにバックして脱出しようと試みたが、フェンスが刺さっているのかどうにも動かない。
「どうしよう、どうしよう」と降りて車の様子を見たり、物が散乱した車の中を片付けようとしたり、パニックになった。
私は去年7月と今年2月にも追突事故を起こし、3月中は新聞配達を自転車でした以外、まるまる免停で休職していた。なにか1点でも切符を切られたら、また即免停である。仕事もきっと、クビになるだろうな。
半べそで、
「あぁ、私の人生終わったな」と思い、しばらくどこにも電話もかけられなかった。
が、いつまでもそのままいるわけにもいかず、警察と会社に連絡した。
会社の事務員さんは、開口一番
「田中さんっっ、今どこにいるの?」と、事故を知っているかのような口ぶり。
後でわかったことだが、たまたま社長の知り合いの方が、社名入りの車が事故っているのを目撃し、社長にラインで知らせたとのこと。
場所からして、田中さんか本田さんのコースだろうと、連絡を待っていたそうだ。
その後、顧客でもある、近くの自動車修理工場の社長さんにレスキューに来てもらい、「すみません社長お手数おかけして・・・」と謝り謝り頼んでレッカーしてもらった。車は、タイヤ2個パンクしており、破損状況から、後々廃車になってしまった。涙
救いは、事故当時まわりに誰もいなかったことである。
単独の自爆事故であり、警察の方が、「今回は点数などに影響ありませんが、くれぐれも気をつけて。フェンスの弁償だけお願いしますね」
とのことで、運よく免停は免れた。
フェンス修理もいくらかかるのかと不安になったが、会社ですべて引き受けてくれた。
そして、修理工場で荷物を片づけていると、会社の同僚が来てくれて、親切にしてくれた。ほっとして会社までの道のり、「今何時に寝てんの?」「(家族から)運転反対されたりしないの?」などと聞かれたことから、いろいろプライベートなことも聞いてもらい、少しすっきりした。
また、会社に帰ると、社長もあまり私を責めたりせず、
「事故が多いようだから、少し自分の生活を見直したらいいんじゃないか」
と心配してくださった。
そんな訳で、その後、長い距離の配達ルートを外れて、比較的近くの、大きな病院ほぼ1か所だけの配達に替えてもらった。
最初は慣れたルートが良かったが、やはり病院の方が仕事は楽なので、替えてもらって良かったと思う。
スピード違反するような心配もなく、仕事量も移動距離も全然違うので、正直ほっとしている。
ここ数年の自分の事故についてであるが、100%寝不足が原因である。改めて猛省しなければならない。仕方ないにせよ、確かにずっと睡眠不足であった。
発達障害グレーゾーンのせいか、疲れやすく睡眠にも気をつけないといけないかもしれない。今回は、「眠い」の予兆がなく、気絶に近い睡眠もあったのは確かである。
家でも、立ったまま寝たり、椅子に座って気絶などが多かった。
とにかく寝よう。
以上は、配置換えのいきさつであった。
今度配達に行くことになった、その病院。同業者3社が競合しており、売り上げを伸ばすためにちょっとがんばらないといけないかな、職員さんや看護師さんにも、人当たりよく感じよく思われないといけないかな、と前より思うようになった。なので、神経はちょっと疲れる。
5月の連休明けからだったから、ルートが変わり、1カ月たつ。
少しずつ、お客様とも顔見知りになり、短い会話を交わすことも出てきた。
「食べることくらいしか、ここでの楽しみがないのよねー!」
ちょっと大げさで?ちょっと切実な看護師さんの言葉。
食べる、って大事だよね。
それにしても、ちょっと一大決起して、1配達員として頑張ってみようかなと思ったよ。そう思った瞬間からアイデアが出ること、これは過集中の特性である。
ここのところ、過集中が連続して続いており、寝不足を補うために突然ガクッと気絶してしまうのかもしれない。
あぁ、今日もタイトルの「素晴らしき旅」まで到達できなかった。書きたかったのに。すみません。やることがいっぱいで。
できればまた明日書きます。
いつから鬱だったのか、もしかしたら物心ついた時からだったのか、はてさて定かではない。こんなひどい状態だが、自分ではあまりそう思っていなくて、いろんなアイデアが出て、実行できて、周りが反応する、よい方向に行く、そういうことができるから、ある意味うつは乗り越えたのだろうと思う。
私以外の家族は、奥ゆかしくて、手汚さずの人が多いから、私が何かイベントぽいことを企画し出すと、
「お母さん~はずかしいからやめたら?」「今度は何やってるの?」などと言い始める。
いいんだよ、ずっと不自由だったし、もう先行き短いんだから、好きなようにやらせてくれよんと思う。
かなり抜けててバカだけど、面白い人がいたなと思ってもらえればうれしいけど、どちらでもいい。
子供はこういう面は似なかったようだから、孫やひ孫や親せきに誰か似たような人がぽっと生まれたら楽しいな。
それより、現世で、楽しい人に会いたいな。けっこういるけどね。