ちびちび書いているうちに、お題の期限を過ぎてしまいましたが、大丈夫でしょうか(^_^;)では手短に。
私の二十代の夢は、飲食店のお店を出すことでした。今思えば大それてます😅
そのために結婚は考えていませんでしたから、それなりに本気だったのでしょう。
アルバイトを含めて、いくつかの職場を経験しましたが、二十代前半から数年勤めた、とある洋食店で学んだことをつらつらと。
料理長は、一流の腕。地元では知る人ぞ知る有名人。個人店を出して数年。
しかしバブル崩壊後、経営悪化で多くの従業員を解雇、精神的ダメージとプレッシャーで、少しずつアルコールに頼るようになったようです。
そこに下働きとして入ったのが自分。
1年ちょっとで、黒字に戻ったらしいですが、料理長の腕が確かだったことが、1番の要因だったと思います。
以前は、料理長のブランドと人柄に関係者皆がおんぶして、安心しきっていたのではと推測します。
せっかくの料理長の腕を生かすプロデューサーがいなかったことも大きいと思います。
入りたてで、よく事情も知らず、希望に燃えたバカは、料理雑誌など見ては、こんなランチを食べたいだの、このお菓子作りたいだの、我儘を言っては、すべてそれが叶えられ、料理長指導のもと、早ければ次の日にもそれを実行させてもらえました。
私の体力がもう少しあって、もっと長く続けられていたらと思いますが、やはり赤字をプラスに持って行くには、並々ならぬ対価が必要です。
労働時間と激務と、料理長のアルコール依存を心配して(料理に使うので、切っても切れないアルコール😅、私も耐えられなくなっていきました。
勤務の最後最後の方では、腱鞘炎やら体の不調で整体に行き、待ち時間をぼーっとしていたら、近くで他の患者さんにストレッチを指導していた先生に、「あなたもぼーってしてないで見てなさいよ」と怒られて、なんだか心の糸が切れました。
というわけで、職場のたった一人の病気、一人の怠慢等は、いつか全体にしわ寄せがいきますね。
弱き時にフォローし合うのはもちろんですが、普段はそれぞれに力を尽くして、まとまっていなければ、士気がさがります。
商品の質が良く、そこそこプロデュース力があり、かつ末端まで、自分も頑張ろう、と思い合える職場は、なんとかなっているように思います。
このお店と、料理長のその後は、長くなるので割愛させて頂きますが、ほんの社会の縮図ではありましたが、つくづく人と、その意識が資源であると感じました。
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