止まない雨はない。
それな、気象上の話。
人生において止まない雨もある。
自殺はしてはいけないか否か、と論議なされることがある。繰り返し繰り返し、本当に追い込まれたことがあるのか疑問な人たちのアホな討論。
ケースバイケースに決まってるじゃないか。
悲しむ人がいるに決まってる。それを差し引いてもその価値があるのなら。
誰も納得しない?そうだろうか?
私がもし本当の理由を書き残して、そして逝ったのなら。
納得する人が大多数だと思う。
自分なら、もっと早くに死んでいたかもしれないと、思う人だっているだろう。
私には、できた子供が2人いる。心優しい子たちだ。
二男は世間とうまくやっていける素質を持っている。何を教えなくとも世間から学んでくる。ほんの少しの励ましで、頑張る力を持っている。
長男も頑張り屋だが、まだ、私の存在を多分に必要としている。
だから、おいそれと姿を消すわけにはいかない。
私が「今」を選ばない理由のひとつはそれである。
蛇足だが、私には変わった守護霊かご先祖様かがついているような気がする。
死ぬほどのことが起こり、「もうだめだ」と思った次の日、それを思いとどまる何かが必ず起きる。
死んでもおかしくないほどの事故が起こった時も、大した怪我もせず助かって、なかなかいかせてくれない。
それから・・私をひどく虐めた人は、数人若くして亡くなっている。
私が呪っているわけじゃない。偶然かもしれないけど。少し怖い。
永いこと希望と絶望を繰り返し、諦めに至る状態で、淡々と日常生活を送るのは修行僧のような胸中である。
一日も休むことなく、悲しくてもとりあえず笑っておく。人を笑わせるとこを考える。自分に嘘をつき、無理に笑うのがいいものか何なのか。
葛藤。ストレス。何もかもいやになる。
しかし最近、心のちょっとした変化があった。なぜかはわからないが、きっと飽和状態が続きすぎて、変化せざるを得なかったんだろう。ふと、何かがこときれた。
本当に、悲しくても、ふっと笑ってしまう自分に気が付いた。
そして、今はダメだけど、いつか楽になる自分を思い描き、それが遥か遠くなくてもいいのだと思えるようになった。
そうなれば、すべてはうたかた。生まれ出る海の中の泡となって消える。
楽天的な性分は、つらいことをすべて忘れ、きっと良かったことのかけらを拾い集めて幸せになれるだろう。