突然ですが、話は、私が二人の子供を出産した時にさかのぼります。
長男出産の時のこと。まず予定日を2週間過ぎても陣痛が来ないため、これ以上お腹に置かない方が良いとのことで、即病院のベッドで陣痛促進剤をうけることになりました。
点滴を受け始めると、ほどなく陣痛が始まり、間隔をおきながらものすごい痛みが来ました。
例えるなら、中国四千年の昔、三国志あたりの戦国時代でしょうか、大陸の向こうから騎馬の大群が何万と押し寄せて来てキタキタキター、お腹の上で蹴散らしギャ~、踏み鳴らしてゴーと去っていく、そんな感じの地獄絵図でした。
初産の多くと同じように、なかなか子宮口が開かなかったので、そのまま陣痛に耐え、8時間。やっと子宮口が全開し、分娩台に登りましたが、陣痛の痛みと恐怖にやられて体力はなく、ぐったりしていきむ気力もなかったため、しかたなく看護師さんが私に馬乗りになり、せーの!でぐいっとお腹を押したのでした。
もう、朦朧としていたけれども、そうしてなんとか長男は誕生しました。
産んだ実家近くの産院では、当時「完全母乳育児」を推奨していました。私もできるなら、そうしたかったのですが、ほとんど出ず、長男はお腹が空いて泣き通しでした。ミルクを足していたと思いますが、長男もあとで思えば、すごい食欲旺盛な子だったので、足りなくて泣いていたようです。
あやし方が悪いのかと悩んだり、とにかくフラフラだったと思います。
さらに、そんな不甲斐なさにイラっとしたのか、気の強そうな看護師さんがいて、その方にきつく当たられました。こっちは患者であり、客でもあるのに、しかも出産したばかりの弱者ですよ!…と今なら声を大にして言えるんですけどね。
体はボロボロだし、精神的にも弱くなっていたのだと思います。
看護師さんにしてみれば、これからも続く子育て、大丈夫か、しっかりしなさい、と叱咤激励の対応だったのかもしれませんが。
さて、まだ長男がアスペと判明する前、私はバセドウ病の治療をしながら、2年後に二男を出産することになりました。
懲りずに、というか、父も母も車の運転をしないため、実家近くの前と同じ産院に行くしかないなと諦めて、またお世話になりました。
行ってみると、「完全母乳育児」は緩和されていて、
「前の出産の時は、母乳育児が厳しくて、大変だったでしょう、ごめんなさいね」
と、覚えていて、言って下さった看護師さんもいました。いえ、大丈夫でしたよ、と言いながらも、ほっとしたのを覚えています。
言いながら、私はリベンジに燃えていて、母乳が出るという「タンポポ茶」を今回たくさん用意して望みました。
結果、二男も食欲が普通くらいだったこともあって、タンポポ茶も効き、完全母乳でOKでした。
さて、話は戻りますが、二男の出産は、陣痛が順調に来て、30分後には、子宮口が開き、分娩台に上がっていました。陣痛はやはり痛かったですが、短時間ならダメージは少ないのです。
そして担当は、あの私に当たりのキツい看護婦さんです。(マジか〜)
前回、いきむことが出来なかったので、今回もどうしていいかわからず、痛さに身をよじっていると、
「痛みに負けないで!押し返して!」
と、菜々緒ばりのキリッとした感じで、その看護師さんは声がけしてくれました。
なるほど!
その言葉でコツがわかり、痛みに合わせていきむことが出来ました。
そして、割とすんなりと誕生してくれました。
その看護師さんは、退院までに二度くらい、部屋に来てくれましたが、タンポポ茶で母乳がよく出ることなど、話したり、抱き方やあやし方をいろいろ教えてもらった気がします。
看護師さんも頑張りを少しは認めて下さったのか、以前より穏やかに接して下さるようになり、ほっとしました。
そして、「痛みに負けず、押し返して!」と何度も側で励ましてくれた言葉は、かなり人生の要所要所で役に立っています。
ありがとう、看護師さん。
出会いや、教訓をどう噛み砕いて生かすかはその人次第だと思います。
苦手な人から何かを得るということは、一週回った自分のような天邪鬼からしたら、ニンマリ美味しいことであります。逆に懐に飛び込んで、いろんな教えを請いて吸収したいです。
静かなファイトと、柳みたいな柔らかさを持って生きたいですね。
頂いた物を浄化して、また世の中に還元できたらいいなぁと思います。
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— しーちゃん (@SZOrtaroyma) 2021年12月3日
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