鳴子と栗駒山をあとにして、帰り道、宮城県大崎市古川を経由して山形市に帰ることにした。
宮城県大崎市古川は、私が結婚して、長男が生まれ、1才10カ月になるまで住んでいた町である。
主人の地元である山形市に引っ越すまで住んでいたが、私にとっては、とても幸せな期間であった。
アパートのすぐそばには、小さな公園があり、外に行くのが大好きな長男は、いつもここに来たがった。そこで日がな一日遊ぶこともあったが、家が目の前であり、安心感があった。夜になるとそこからすぐ歩いてスーパーに行き、買い物をして、帰ることもあった。
アトピー、アスペルガー症候群だった長男の(当時は知る由もなかった)子育ては多忙と困難を極めたが、環境が優しく、比較的のびのびと育児ができた。そんな私のもとで、長男ものびのび育ったように思う。
山形市に引っ越し、二男が生まれると、少し長男は変わった。狭いアパート、人の多い遊び場、冬、雪で遊べない公園、弟の出現、さらに忙しくなった母。彼なりに戸惑うことが多かったに違いない。
ともかく、大崎市古川での長男の子育ては、大変ながらも、楽しかった。それが長男にも伝わっていたのだろう。
ところで、私は妊娠中、つわりがあったとき、近所の中華料理店によく出前を頼んだ。食べられるものが少なくなる中、こちらの料理とスープは、私の心と胃袋をやさしく満たしてくれた。次男を妊娠中も、長男を連れて、食べに来たこともあった。
もう、15年も前のことだから、その店がまだあるか、わからない。
町はさほど変わっていなかったが、新しい店はけっこうできていた。
近くまで来てみると、なつかしい看板が見えた。
まだ、営業している。
店に入ると、壁紙などは変わっていたが、お座敷とテーブルがあり、当時の店内のままだった。そして、手書きのメニュー。
不思議と、当時、何をよく食べていたのか、思い出せない。
でも、たぶんこれかな?と「えびそば」を頼んだ。
なつかしい、やさしい味であった。
店のおかみさんに、栗駒山に遊びに来たこと、昔ここに住んでいたこと、よくつわりのとき、出前を頼んだことを話したら、あちらは覚えていないようだったが、にこにこして、料金をおまけしてくれた。
「またいらしてね」そう言って下さった。
このお座敷に小さな長男が座って、料理を食べた姿、というか、動き回って大変だった姿をぼんやりと思い出した。
もう、そんなに月日が経ったのかな、昨日のことのようなのに・・と感慨深く思った。こんなふうに振り返る時が来るなんて思わなかったが、じんとくるような、心を揺らすような、やさしい旅であった。