パート先の上司から、
「田中さん、そんなに何か所も仕事してるなら、うち1本にしない?」
と言われた。
要するに、うちの社員にならないかと、そういうことである。
「あなた人と接する事好きでしょ、そういう強みがあるよね」
「いえ、そんなことないですけど・・」
苦手を克服するべく、がんばっているのを誤解されているようなので、一応軽く否定する。
確かに、今2か所の短時間の仕事に、今月からはもう1か所増やす予定ではある。
しかし、そんなお誘いの話も、手放しで喜ぶわけにはいかない。
私の能力を買って、というよりは、今、人手が足りなくて人員を確保したいだけなのだ。
私はマルチにできる人間ではない。
社員になれば、仕事の種類も増えるし、極端に苦手な仕事も追加される。
だから、自分にできる仕事を苦労して見つけ、それをつないで何とかやっている。
体力も集中力もあまりないから、長時間も苦手である。
でも、上司から、
「人間関係をうまくやっている」
「仕事もまずまずできている」
と思われているとすれば、今の自分は社会的に、そんなに悪くないところにいるのかな、と思ったりする。
まぁ、上を見れば、きりがないけど。。
以前に比べれば、鬱で死んだように生きていた時に比べたら、それはもう心は穏やかで。
仕事も、無事に終わればほっとして、単純に幸せで。
仕事仲間と他愛もない冗談を言って笑ったり。
食べたいと思うものを、作って食べることができたり。
来年度には、卒業して家を出ていくかもしれない子供と今、一緒に暮らせていることに幸せを感じたり。
いろいろ、いろいろあったけど、こんな人生で私は良かった。
辛かったことはみんな浄化され、脳や血液や体中に刻まれているような気がする。
人に傷つけられ、自分に傷つけられても、あきらめずに生きる道を探すこと。
生きるとは、休むべき時も、逃げなければいけないこともある。
とことん休んで、動けるようになったら、できる限りで動けばいい。
自分を落とさず、最後のプライドは捨てず。
そのためになりふり構わず。
『求めないで優しさなんか 臆病者の言い訳だから』
こういう言葉を支えに、生きてきたと思う。
時間は、こんな私にも、少しの縁を与えてくれて、
優しい人にもめぐり会った。
降り続いた雨が止み、明るく陽が差し込んで、もう一年ほど経つ。
穏やかな日々。
それでも時には雨が降る。そんな時は、少しだけ頼っていいかな。
あの人のことを。
人を信じられるなら。
信じることも、生きるための武器であり
できないなら、頭の片隅に置いて時々意識すればいい。
長い間に、自分は変わっているだろう。
きっと良い方向に。
追記・・『それでも雨が降る時は』・・というタイトルのブログがあり、自分はその読者でした。頭のどこかにこの言葉が残っていたのか・・?使ったあとで気づきました。心当たりのブロガー様、気を悪くされたらすみません。すてきな言葉だったので、被ってしまいました。ごめんなさい。