雨 ときどき晴れ☀

~鬱と発達障害とつきあう日々~

高岡ヨシさんのブログ記事を勝手ながら掲載させて頂きます。

 

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高岡ヨシさんのブログ記事を勝手ながら掲載させていただきます。

 

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対する私なりのコメントがこちら。 

 

拝見させて頂きありがとうございます。
このような悲惨ないじめは、悲しいことに現在、日常的に、数多く発生していると想像します。驚くことはありませんが、見聞きすれば吐き気がします。
私が子育てを始めた20年近く前あたりでも、教育者、心理学者の中には『これからの子育ての環境は、どんどん悪くなる』という意見が少なからずありました。
その頃は、『人との関わりが少なくなる、薄くなる』ことによる心の成長を危ぶむものが主流だったと思います。
その後は、ゲーム、スマホなどによる影響ももちろん危惧されていて今に至るわけですが、それらが世に浸透していくにつれ、人々は感覚が麻痺し、それらに頼り過ぎていることに諦めを感じていると思います。
私は、できる限り、そういうものに抗って子供を育てました。できる限りギリギリまで、人と交流する生活、ゲームに替わる楽しみを与えたつもりです。親の熱意や、愛情が加わることで、ゲームに勝ると信じて。
そういう生活をしていると、はっきり言って経済的にはお世辞にも豊かにはなりません。でも、人は損得やガチガチの常識、正義では育たないと思うのです。
あまりにも、今の世の中は寒すぎます。大人がだらしない。そして、そこで育った人が、大人になり、教育する立場になっていく。いじめなど、解決する力もアイデアもない。

悲しむだけの世間一般の話は飽き飽きです。
親は、『いじめがあって当たり前』の前提で、日々子供を守らなければならない。誰かに調査してもらう暇などありますか?
子を持ったら、少しずつ、信頼できる人とつながりを作り、少しでも子育てを分かち合い、何かあったら助け合える関係を作る努力が大事だと思います。

事件が起こるたび、それを引き止める誰かの言葉や、行動がなかっただろうことに憤りを感じます。
加害者やその親までも、時間を戻して育て直さなければ解決しないでしょう。
そんなことは不可能。不可能ということが、事の重大さを示していませんか。
自分さえ良ければ、という甘い考えをしてきたツケがこんな世の中を生みました。
心ある大人たちが、プラスの犠牲を払い、世の中を変えていかなければなりません。

 

 

 

 

 人生の先輩方、余力のある方、余生を謳歌するのもいいですが、一肌脱ぎませんか。

 世間一般の親としてお願いしたい気持ちです。

 身近な人間や、子供たちに関心を持つことから始めませんか。

 良識ある先輩方の力が必要です。